2004.11.17 とりあえず名古屋
昨日お昼前に、わたしを全国の場に引っ張り上げてくださったN氏のお母様が亡くなった。92歳だった。つい最近まで、N氏が地元にいる時は(全国を飛び回っている方なので)息子のためにと手料理を作ってこられた方だった。N氏はその知らせを受けた後も、わたしとともに年次大会「提案」のためにステージに立ち、「式典」を滞りなくこなして、懇親会の前に急ぎ、大阪から豊橋に戻られていた。
われわれの全粧協では、定款により年次大会翌日のきょうが新体制がスタートする日となっている。本当なら、きょうはN氏にとって新理事長としての最初の理事会の日であり、業界紙などへの正式就任のお披露目記者会見が行われる晴れがましい一日になるはずだった。大阪の秋晴れの空がちょっとうらめしい。
朝一番に大阪へも伝えられた通夜や告別式の案内をグループウエアの「インフォメーション」にアップをしておいてから名古屋に戻る。昨夜は、しばらくひとりで余韻を楽しんでいたが、気がおけない仲間からのお誘いがあって、その人たちの部屋にお邪魔する。3人が途中から6人となって3時まで。ひとりじゃないというのもやっぱりよいものだ。でも、眠い。帰りの新幹線は眠りに落ちたら名古屋では起きられなくて品川まで運ばれてしまうかもと、必死で目を開けていたが、岐阜羽島から先、数分間記憶がない。
夜は、Nさんのところの通夜に豊橋までとんぼ返り。あすの告別式には出かけることができない。焼香をすませあいさつすると、握手を求められ「ありがとな」とひとこと。きのうも「提案」の終了後に、しっかり力のこもった握手をしたばかりだ。今回のわたしに対して、わたしをよく知る人たちの間で「声にするどい切れがあった」という評価があるらしい。きのうも書いたが「怒り」と、N氏のためにもきょうはなんとしてもという気持ちが、わたしをそうさせたのだと思っている。
一夜明けても、昨日の大会の投げかけた波紋は拡がり続けている。朝食会場で、興奮気味に「よかった!」と褒めてくださった方もあれば、帰り道、いろいろ考えさせられましたというメールをくださった方もある。一方で、あれほど「OFFセール戦略」の件には触れるなと言ってきたのにと、憤懣やるかたない方もあるようだ。さすがに本人に面と向かってお小言を呈される方はないが、陰では、「どうして伊藤をあそこまでフリーハンドにした」などと言う方もあるらしい。
波風の立たないやりかたをというのもあるだろうけれど、今どき、悠長なことなど言ってはいられない。たしかに今までタブーとしてきたところへ正面切って踏み込んだということはたしかだけれど、何もみんなにそれをやれとけしかけたわけではない。やるならとことん真剣に考え、賢いやりかたで取り組まないと首をくくることになるという論調だったのだし、そのことの与えたインパクトにくらべれば、若干とってつけたような感は与えたかもしれないが、「OFFセールに依らない3年後」を指向しているお店の例の取材VTRも「提案」として示しているのにもかかわらずだ。なんとも情けないというか、呪縛を解くすべを知らない、知ろうとしない人が悲しいくらい多い。
あすは、福井へ日帰り。女性部のメンバーに、この話をしてくることになっている。人数もきのうの450人に比べて、20人と少数なので、肩に力を入れず、「怒り」を原動力とはせず、ふだんのわたしのトーンとキャラで話そうと思っている。でも、キチンと肝の部分は伝えなくちゃとは思っている。メッチャハードな1週間もあすでヤマを越す。
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