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2006/01/07

2006.01.07 逝くとき

 きのうちょっと罰当たりなことを書いたけれど、本日は叔母の葬儀に参列した。一宮市まで出かけたのだが、雪が心配だった。朝、起きたとき(といってももうずいぶん陽が高くなっていたのだが)には、車の屋根にうっすら積もっていたという雪も溶けていた。ネットで調べると名古屋高速も東名阪も通行止めにはなっていなかった。

 叔母は農業をしていたので、子供のころから時々野菜を背負って訪ねてきてきてくれていた記憶がある。晩年は病気との戦いだったけれど、私の父(叔母にとっては弟)が亡くなった後、法事などで顔を合わせると「ひでちゃんはすーちゃん(わたしの父のこと)にそっくりになったのぉ」と言っては涙ぐんでいた。

 葬儀には土地土地のやりかたがある。(母の実家の火葬場での酒盛りにはびっくりした)宗派によっても違いがある。叔母の住むあたりではまだまだ自宅で葬儀を出すのがあたりまえのようだ。葬儀そのものは葬儀社の方が仕切るのだけど、全体は「こうぐみ(講組と書くのかなぁ?)」の方たちが仕切っている。火葬場から戻ると、その講組の人たちがお仏壇の前に勢揃いして菩提寺の住職とともにお経をあげてくださる。むじょうきょう(無常経と書くのかな)と言っていた。そして、まず住職とその講組の方を「ご近所隣組」の方で接待をする。その後、お茶だしやお留守番などのお世話もしてくださったそのご近所隣組の方を、家族と親族が接待をする。そして、最後に家族と親族が食事をするというのが習わしだ。

 そんなわけで、13時からの告別式からはじまって、すべてが終わって叔母の家を出たのは20時20分だった。でも、これでも叔父のときを思えばずいぶん早いほう。飲酒運転の規制が厳しくなってこうした席では酒盛りにならなくなったからだ。そのかわりに供養のうちと缶ビールをいただいてくる。

 叔母はいつも「しっかり者」「はたらきもの」と言われてきた。お骨を拾わせてもらったのだが、大腿骨も頭の骨もすごくしっかりとしていた。昔の人は強かったんだなぁ、甘えた環境に育ったわたしだったらたぶんもっとスカスカなのだろうなと思う。うちの子供たちの世代なんかはもっと心配だ。

 けさでかける支度をしているとき、わたしのパジャマ代わりのジャージをたたみながら、妻が「もう1こ泊まっていくんだよね」と言った。なんか愛人宅みたいだねとふたりで大笑い。そう、幸いにして3連休だしね。そういえば、「叔母は最後、みんなのことを考えてくれたね。」という話が出ていた。叔母の長男さんはおもちゃ屋さん。クリスマス、お正月は年間最大の稼ぎ時。12月にはいって容態は芳しくなくいつ逝ってもおかしくないと言われていたそうだけど、結局亡くなったのは1月5日だったからだ。逝くときにそう偲ばれる人生でありたいもの。

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