2007.11.21 出遅れ
柴田 翔の「されど われらが日々-」を読み終えた。1964年の芥川賞受賞作で、1974年に刊行された文庫の新装版ということだ。芥川賞の年はまだ9歳、もちろん60年安保はまったく記憶にない。
わたしたちの世代はある意味「出遅れた世代」といえるかもしれない。ませていたわたしはBeatlesの「ホワイトアルバム」からリアルタイムで聴いていたが、それとて、解散目前の時期でしかない。同級生たちはほとんどBeatlesの現役時代を知らない。
70年安保の年が中学3年生、学園紛争も少し上の年代のものだった。中高一貫の男子校生だったわたしは、同じ敷地の高校でバリ封が行われた時、生徒会活動していた。「オレたちもバリ封だ」と息巻く仲間たちを、流行病のように真似をしてみても意味がないと押しとどめたことを思い出す。実力行使をしない替わりに、条件闘争をしかけて「実」をとったことを思い出す。
出遅れた世代ではあったけれど、身をもって体験はしなかったものの、少しはその空気を味わった世代でもあった。だからその後の「三無主義」「五無主義」とは一線を画していた。
「されど われらが日々-」は、その頃、ちょっと背伸びをして垣間見ていた大きなうねりの時代を思い出させてくれた。学生運動って先鋭的で攻撃的な面だけが社会悪のように否定的に論じられていたような気がするが、じつはすごく「まじめ」で「まっすぐ」な気持ちの発露だったように思う。丁寧な言葉遣いも時代を感じさせる。いつから日本語はこうも変わってしまったんだろうね。
本日も、きのうローンチした企画の後処理に追われる。メチャメチャタイトなスケジュールで突き進んだけれど、それを割り引いてもチェックは甘かったなぁ・・・と反省。
夜20時すぎから、某大手で運用している業務の切替作業をはじめるが、先方から提供されているプログラムがうまく機能しない。何度トライしてもダメ。23時までがんばったけれど、きょうのところはあきらめて、23時10分に退社。この作業は先月から行うことができたのだが、いよいよタイムリミットが見えてきたところで動き始めたのだが、ここでも「出遅れた」かな。意外に作業量が多そうだ。こればかりにかかりきっているわけにはいかないし、間に合うかなぁ・・・。
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