2007.12.19 支え
朝はきのうよりは冷え込みは強くなかった。でも、そろそろエアコンをつけないでいるのは「やせ我慢」かなと思いはじめている。風邪をひいたら元も子もない。迷ったあげく、昨夜は眠りにつく直前に薄い肌掛け布団をクローゼットから引っぱりだした。
池永陽の「国境のハーモニカ」を、帰りの山手線で読了。不器用な主人公が45歳にして少しだけ踏み出そうとする決断のエンディングに、こころの中で小さく拍手する。重い課題を突きつけられる話だったが、派手さのない誠実な語り口で読ませてくれる一編だった。
人はホントに弱い生き物だと思わされる。だから、どんなに強がってもひとりでは生きていけないだろう。そんなとき有形でも無形でも支えとなるものが必要だ。それが幅広い意味での「家族=ファミリー」なのだろう。他人との関わりに距離を置くことがあたりまえのようになっているいまの日本では幅広い意味ではなく、本来の「家族」が唯一の支えなのかもしれない。
本日は22時10分退社。仕事に一区切りついたことと、何よりおなかが空いたし、眠気も襲ってきたこともあって、ログアウトした。山手線、文庫を手に立っているわたしの背中に、重みがかかってくる。ちょっとふり返ってみると、赤い顔をした大柄な中年サラリーマン氏が、電車の揺れと関係なくからだを揺らしている。ある意味、わたしが「支え」となっていた。
池袋からの有楽町線、前に立っている小柄な男性がぐいっとのけぞってくる。思わぬ展開に「何事?」って思ったのだが、どうやら立ったまま眠りに落ちかけているらしい。こっくりこっくりと前に向かって傾くのはよくあるが、後ろにのけぞるようにして眠りかけている人ははじめてかもしれない。時々後頭部がわたしの肩にあたる。ここでも「支え」になって上げている気分。小竹向原の乗り換えで目の前のドアが開いたら、何事もなかったようにさっさと降りていった。肩を貸してあげた格好のわたしは、やっぱり唖然というか「何事?」という思いになる。
氷川台駅には23時前に到着。23時まで営業のマクドや食品スーパーのネオンがまだともっている。出口すぐ脇のパチンコ屋さんも、まだ掃除中で電気が点いていて、駅前がちょっと暖かい。自宅に23時08分着。今夜は、作り置いた料理がないので、白菜、ニンジン、ネギ、ウインナソーセージと豆腐で八宝菜もどきをつくる。多めに作って明日のお昼のおかず分を取り分けておいた。今夜は少し早めに眠ろう。
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