2008.05.10 食堂かたつむり
朝、ゴミ出しに備えてセットしておいたアラームよりも2時間早く目が覚めた。時計を見ようとカラダを起こしたとき、胸にピリッと痛みが走る。きのう気をつけなくちゃと書いたばかりなのに・・・。でも、元気よくガバッと起きあがったわけでもないのに。
新聞を取りに行こうとドアを開けると予報より早くもう冷たい雨が降っている。きょう一日、雨が続くという予報に、うちでゆったり過ごすことを選択する。午前中は掃除機をかけただけ。あとはゆったり新聞を読み、メールチェックをしたりして過ごす。
お昼ごはんは、ニンジンとブロッコリをゆで、冷や奴にたっぷりの大根おろしをかけ中華ゴマ風味のドレッシングをかけていただく。ホントはおろしスパゲティのつもりで大根を下ろしたのだが、パスタだと思って冷凍庫から出して解凍したものがじつはゆでたもやしだったというお粗末。
午後は、読書。通勤の往復で読み継いでいた矢口敦子の「証し」を読了。「償い」がロングセラーになっている著者の作品だが、登場人物の「濃い」というアクが強いというか、キャラにどうも馴染めなかった。つづけて、めずらしくハードカバーで買ってしまった小川糸の「食堂かたつむり」を一気読み。
ある日、仕事から帰ったら、3年暮らした恋人が、家財道具一式、お店を開くために貯めていたタンス貯金の一切合切とともにキレイに消えていて、無一文で10年前に家出同然に捨てた山あいの村に舞い戻ることになる。その田舎で1日1組のお客さまを迎える「食堂」を開く。そこでは、あらかじめ好みや希望をリサーチした上で、その人に合わせた料理をお出しする。そんなの採算に合うはずないじゃん!というような野暮は言うまい。
食べるということの中に「やさしさ」や「愛」を感じられるいくつもエピソードに、大泣き。最後に、大きなわだかまりが氷解した時(それは残念ながら遅きに失していたが)には、声をあげて泣いた。
「おいしく食べること」、「おいしく食べられること」、そんな毎日あたりまえにくり返していることに、「しあわせ」がいっぱいにつまっていることをあらためて感じる。けっして贅を尽くした料理や、高価な食材ではなく、そこに込められたなにげない心にこそ「しあわせの種」がある。
その「しあわせの種」は、インスタントやレトルトや、誰かのためと特定しないで作られたできあいのものにはないのだろう。じぶんに置き換えて考えたとき、それがホントに簡単なものを作るのだとしても、遅く帰ってきた夜にキッチンに立つことで「落ち着いたり」「ホッとしたり」「仕事でのモヤモヤが溶けていくように感じたり」するのだろうなと思う。だから、それまでしたことがなかったのに苦もなくつづけられるのだろう。
そして、名古屋にいたときには、妻がそれを家族のために注いでくれたんだなぁって思う。なかなか面と向かっては言えないけれど「感謝」だなぁ。
読後の余韻に浸りながら、さぁ、おなかも空いたし、夕食は、じぶんのために「愛を込めて」作ろうか・・・ってクサいセリフを思い浮かべて大笑い。そのメニューは、きのう買ったタラの切り身と、冷蔵庫にあったシイタケ、大根、豆腐とネギでキムチ鍋。もう一品にはカレーはんぺんを焼く。「しあわせの種」まで入ったかどうかはわからないが、おなかがふくれるということは、無条件で満ち足りた気持ちになれるもの。3月の気温に逆戻りという、肌寒い1日だったけど、とってもあたたかい気持ちで終えられそう。「しあわせ」なことである。
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