2008.06.04 昭和83年
ことしって昭和何年だったっけ? 毎年、この日はそんなことを考える。6月4日は亡くなった父親の誕生日だ。そうかぁ、ことしが昭和83年ということは、生きてたら80歳の誕生日だったんだなぁ。早くに逝ってしまったから、80歳の父というのは想像ができないけれど、後期高齢者の生きにくいこの時代をどう感じただろう。
信心深くないわたしは、お経をあげたりも西の空にむかって手をあわせたりもしない「罰当たり」の息子だけど、こうしてちゃんと思いだしていることで許してくれるかな。
重松清の「うちのパパが言うことには」を読了。その中でうんうんと頷いた話。反抗期の中学生の息子に手を焼いていたある父親、ある日「どうして親の気持ちをわかってくれないんだ」という情けなさともどかしさのあまり、ついに手をあげてしまった。殴られた息子は猛然と抗議に出てこう言った。「文句ばっかり言うなよ! 俺、生まれて初めて中学生やってるんだぞ!」、次の瞬間、思わず怒鳴り返した父親、「うるさい! お父さんだって、中学生のお前を育てるのは生まれて初めてなんだ!」
そう、今わたしは53歳を「生まれて初めて」生きている。父親に反発していたあの何も見えなかった、見ようとしなかった頃、父親がどういう思いで、どういう目でわたしを見ていてくれたかは、今ならわかる。そして、その時に「お前のために言っているんだ。」と押しつけても、それは無理な話だったということもわかる。
「お前のために言っている」って、とても聞こえはいいけれど、要は、親の望む道へ誘っていることにすぎないし、「期待」という名のハードルを課しているわけだ。親には既知のその年代の生き様も、「生まれて初めて」その年代を生きている者に理解しろと言うのは酷な話だ。
そんなことも53歳の今だから実感できる気がする。父が早くして逝ってしまった63歳まではあと10年だ。
「うちのパパが言うことには」から、もうひとつ・・・。
センチメンタルだと笑われてしまうだろうか。でも、振り返る過去を持っていることは、やっぱり幸せなのだと思う。(中略)前を向いたまま、首をよじって後ろを振り返る。再び、前を向くときには、ちょと首が軽くなって、意外と肩こりなんかも楽になってるかも。心の屈伸運動のつもりで、思い出をたどること・・・忙しいサラリーマンにも、そういう時間は必要なんじゃないかなぁ。
「生まれて初めて」立ち向かう未来は楽しみでもあるけれど、それなりに緊張もするだろう、その点、体験済みの「過去」はきっと楽な気持ちで呼び起こせるはず。時々、立ち止まって振り向いてみるのはけっして無駄じゃないということなんだろうね。でも、あくまで首をよじって振り返ってみるだけ。後ろ向きに歩き出しちゃダメだよね。
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