アラームをセットした6時20分より3分早く自然に目が覚めた。今週もウイークデーは平均4時間台前半の睡眠時間だが、元気だ。雲が多めだけど、カラッとしていて梅雨の最中らしくない気持ちのいい朝。賞味期限がきているはんぺんと野菜室にあったエリンギをともにサイコロ状に切って煮て、卵でとじる。これがお弁当のおかず。けさは7時38分の通勤急行に乗れて、8時11分に会社のカギを開けた。
きのうのデータ集計や細々した作業をすませて、10時30分に往訪に出る。本日の目的地は丸ノ内線「本郷三丁目」。ここで降りるのははじめてだけど、本郷通りと春日通りの交差点に出て、なんども走って通った道だということに気づく。ふぅ~ん、なるほど。打ち合わせをすませて、こんどは大江戸線で「上野御徒町」へ。この駅から上野のお店に行くのははじめて。ふぅ~ん、なるほど、ここにでるのか・・・。
お昼過ぎに会社に戻ると、社長にレビューしてもらっていた午後の取締役会用の資料に修正の付箋がいっぱいついて戻ってきていた。う~ん、またしてもわたしの最終確認の甘さが招いた要修正の事態だった。このあとミーティングもあるし参ったなぁと思っていたら、修正の付箋をつけると同時に社長がミーティングのリスケをして時間を作ってくれていた。うぅっ、いろんな人に迷惑をかけているんだ・・・と一瞬落ちこむ。でも、時間がないことをバネに立ち直る。
直しを入れ、計算のロジックを埋め、急ぎ印刷して、ホチキス止め。最後のページを揃えてホチキス止めの過程はYさんの手を借りる。それでも、15時からの開会に5分遅れた。たまたま出席者のひとりが遅れていたので事なきを得たが、またまたやっちゃったという思いが気持ちを重くする。
その後も会議がつづき、結局お昼を食べ損なった。取締役会の頃は空腹を覚えていたがその後、すっかり気にならなくなっていたのだが、21時過ぎになってまた空腹感を感じるようになった。ここで2つ持っていっているおにぎりのうちひとつをほおばる。ちょっとおなかが落ち着いたら、逆に仕事へのモチベーションが下がってしまった。
変更になったスケジュールを書こうとして、ノートにはさんであった給与明細に気づく。で、忘れないうちにと家賃やクレジットカード代金の落ちる口座に振替を行っておく。この時、あっ!そういえば。と気がついた。
そうだ、きょうから東京生活5年目に入ったんだ! 2005年6月25日は晴れて蒸し暑い土曜日だった。家具や電化製品が届くのを待ちながらまぶしい陽射しを眺めていたのを思い出す。早かったなぁ、あの日からもう丸4年だなんて・・・。想像以上にひとり暮らしには順応できた。われながら、結構ちゃんとしているなって思う。
あの当時とは仕事の内容は変わった。今の出向先では、基本的にはバックを守る仕事に従事していくことになるだろう。社長を筆頭にみんな若くて頭がよくて、バリバリ働ける人に囲まれた中では、表舞台に立つ場面はないなって思う。もっとも会社全体がその若さを武器にかなりのスピードであたらしいこと、あたらしいものに突き進んでいるので、バックといっても相当に刺激的だ。そんな中で働けることには「感謝」だ。でも、きょうのような仕事をしていては、いつまでも働かせてもらえるとは限らない。
その職場の空気が重い。疲弊感を覚えているであろう人が何人かいる。業務負荷が偏ってかかっていることが要因のひとつだったりするので、なんとなくぎくしゃくとした空気もある。仕事の場所だから「和気藹々」というわけにはいかないのはわかるが、気がかりだ。
往訪に出る途中の地下鉄の中で加納朋子の「モノレールねこ」を読了。本の帯のキャッチに「ザリガニの話で泣くなんて思いもしなかった」とある。わたしもその「ザリガニの話」(バルタン最後の日)に泣かされた。ドアのところに立っていたのだが、あ、あぶないって思った瞬間にはボロボロッと涙が床に落ちていった。あわてて外のトンネルの壁に向き直ったので、空いた車内、座っていた人には見られなかったと思うが、ちょっとあせった。
この8編の短編集は、「死」が多くの話で重要なモチーフとなっている。その「死」を嘆き悲しむのではなく、日常的なありふれたものとして受け止め、なおかつ愛おしむように身近に置いているような自然さがしみる。身近な人の死であっても、残されたものがいくら悲しんでもけっして元には戻らない。そして、どんなに泣いていても、陽は昇り陽は沈み、おなかも空く。「ありふれた」ものと受け止めるのはなかなかむつかしいことかもしれないけれど、嘆きや哀しみからはあしたは生まれてこない。そんなことをじんわりと感じさせてくれた8編だった。
22時40分退社。23時30分にうちについて、会社で食べることができなかった残りのおにぎり1個とおかずで夕食。その後、シャワー浴びてから体重測定。食事後さほど時間が経っていないのに52.3kg。きのうより1kg近く体重が落ちていた。
郵便受けに「賃貸住宅総合保険」の保険証書が届いていた。先週、賃貸の継続契約書も届いていた。いずれも2011年6月まで2年間の契約。これが満了するときは東京生活6年を終えられたということになる。はたして・・・。