2010.07.15 追い山の一日補足
「追い山」の一日、補足を・・・
博多っ子にとっては、年に一度の大きな行事だから、この「祇園山笠」のことは、7月1日からのまつり期間中、新聞やテレビで盛んに報道されていた。街には祭り提灯も飾られ、飾り山笠にもあちらこちらでお目にかかれた。ただ、福岡在住のマイミクさんに地元の人ならではの楽しみ方や見方を、事前にくわしく教えていただいていなかったら、きっとけさの雨では、日和ったことだろう。こちらにいる間(いつまでかわからないしね)に絶対、いておかなくちゃという気持ちにさせてくれたマイミクさんのコメントに感謝だ。ホント、「おかげさまでいいものを見せていただきました。」というところ。
「山」とか「神輿」の大きさだけいうのなら、全国にはもっと大きなもの、勇壮なものもあると思うが、でも、あの「流」の一団のすさまじい熱気は、他では味わえないような気がする。招き板を持って流の集団の先頭を走るこどもたちからはじまって、途中で舁き手がなんども変わらないと、あの重さなので走りきれないから、その舁き手たちがともに走る。勢い水を持って走る人、それをかける人。その位置、間合いもまたキチンと決まったものがあり、それが乱れると真っ直ぐに走ることができないという。あの人数での一体感、緊張感は見る者を熱くする。そのまま「山のぼせ」になっていくというのもわかる気がする。わたしも、もっと若かったら・・・(!?)
4時に走りだして、4時30分少し前に櫛田神社近くにたどり着いたが、神社から国体通りに出るあたりはもう人でいっぱいだったので、すこし呉服町交差点に向かったところで見ていた。立ち止まってからは雨にぬれて寒くなるといけないのと、傘はまわりの人に迷惑となるので、ビニールポンチョを被って待っていた。最初の「山」が行く頃までは時々土砂降りになって、まわりのバリバリ博多弁のおばちゃんが「追い山でこんな雨降りは知らんと」と言っていた。でも山が走りだす頃からは小降りになり、やがて半分が行く頃には雨が上がった。
七番山笠まで見てから、そのまま北に細い道を入っていって、冷泉町で大博通りの方から路地に入ってきた山が、狭い交差点を曲がっていくところでも五番から七番までを見た。ここはホントすぐ目の前を駆け抜けていくので、一段と迫力があったが、幾重もの人垣で頭越しにしか見られなかったが・・・。
雨が上がった夜明けの街を走って戻ってきたのが6時40分過ぎ。ふだん起きるよりもまだ早い時間だった。テンションが高くなってこともあって、眠くならずに仕事に入っていけたが、お昼ごはんを食べてちょっとお腹がふくれたところに、ネットワークの再設定でしばらく本社につなげられないとなった時間と、夕方、一区切りがついた時間、そして、ネットワーク障害が発生して本社の一部サーバに繋げなくなってしまった夜19時以降は、ちょっとだらけてしまった。これも一種の「山のぼせ」かな?
きょうのお昼ごはんは、塩さばを焼き、きのうの残りの煮物と冷奴。夕ごはんはギョウザとダイコンとベビーホタテのサラダ。木曜日だけど、ギョウザにはビールでしょと1缶開けたのだが、それで「ほろ酔い気分」になって23時過ぎから電気をつけたまま眠ってしまい、ハッと気がつくと4時だった・・・あ"ぁ。あしたはキッチリしようっと。
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