2012.03.27 生きる
日曜日の朝早くに届いた訃報。従兄弟が45歳(なったばかり)で亡くなった。クモ膜下出血だった。じつはその2~3日前に救急車で運ばれたが、意識不明のまま集中治療室にいるという連絡はもらっていたのだが、母方の実家は新潟、すぐに駆けつけるというわけにはいかず、結果的には「ダメだった」という知らせをただ待っていただけになってしまった。
すべてが神様の手に委ねられていて、わたしたち俗世のものがそれに抗うことはできないとわかっていても、45歳で、親よりも先に逝ってしまうというなんて不条理な話だ。最後の別れで、「親不孝者」の彼に「バカヤロー」って心の中で小さくつぶやいたけれど、彼がいちばん無念だろうなぁ・・・と思うと、もうそれ以上何も言えない。
日曜日、大急ぎで締め切りの仕事をかたづけて、13時の「しなの」にギリギリ飛び乗っても、新潟県上越市の母の実家についたのは18時30分過ぎ。お通夜の最後の最後にすべりこむのが精一杯だった。父方の親戚は、父が兄弟の末のほうだったので、従兄弟というより「おじさん」「おばさん」といったほうが近いくらいに年が離れていたので、家どおしのお付き合いはあっても、従兄弟とのつきあいはほとんどなかった。一方の母方は、母が長女だったので、従兄弟の中ではわたしがいちばんの年上でも、歳はわりと近かったのにもかかわらず、この物理的な距離が災いして、あまり行き来がなかった。一緒に遊んだという記憶も遠い昔にあったかなかったというような感じだけど、それでも、わたしよりも1回り下の従兄弟が亡くなるというのは辛いし、堪えるものがある。何より、彼本人より、数倍も会っているおばさんを一人残して逝ってしまったことがいちばん辛い。おばさんは、連れ合いを先に亡くしているので、長男である従兄弟が何よりの支えであったはずだからね。
おとといの通夜、きのうの葬儀、初七日と、断続的に降る雪の中で執り行われた。出棺の時は霰混じりの強い降り方の中だったし、夜は雷もなった。日曜日、名古屋を出る時、晴れ間はひろがっているものの、たしかに北風は冷たく寒かった。でも、まさか、こんな雪の中での送りになるとは想像もしていなかった。実家のまわりの田んぼは一面の雪。自宅前には除雪した雪が大人の背丈ほども積み上げられていた。除雪車が通っていっても、またすぐに白くなってくる雪道を、マニュアルシフトの軽の四駆でスイスイと走っていくおばさんのたくましさを見ていると、白モクレンがそろそろ見頃だね・・・なんて、たしかな春の足音に浮き立っている名古屋のわれわれの、のほほんとした浮かれ気分がホント申し訳ないような気分になる。
行きと帰りでちょうど1冊ずつ持っていった文庫本を読みきったのだが、たまたまどちらも「死」と向き合った話だった。1冊は葬儀屋を継いだ29歳の女性が主人公の本多孝好の「WILL」、そしてもう1冊は、森絵都の「ラン」。22歳の主人公(女の娘)が、ちょっとわけありでフルマラソン完走を目指す話なのだが、このどちらの主人公も両親を事故で亡くしたという設定で、残されたものは何を思い、どう生きていくのか、先立った死者たちは何を語ろうとしているのか、そんな作品たちだった。
つまるところ、生きている者、生かされている者は、その「生」を精一杯ポジティブにとらえていくってことなんだろうな。「明日をもしれぬ」なんて刹那的になることはないけれど、やっぱりその一瞬、一瞬を無駄にしないように生きていかないとなって思う。出かける時は、山あいに入るにつれて、だんだんと灰色になっていく空の色のせいもあって、かなり気持ちが落ちていたけれど、無事に送ってあげられたこともあるし、けさはようやくスッキリと青空が広がったこともあって、ちょっと乗り越えられたかなって気分になっている。もっとも、それは従兄弟っていう立ち位置だからで、おばさんの辛さ、悲しさは、ただただ慮るしかないんだけど・・・。
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