きのうお昼前、妻の父親が旅立っていった。98歳、最後はここ7年間を過ごした有料老人ホームの部屋で、娘3人に看取られての穏やかな旅立ちだった。
ほんとうに元気な人だった。頑固で怒り出すと手がつけられないって聴いていたが、わたしにはそんな様子は見せてくれなかった。最後まで「娘の夫」でしかなかったんだなと思う。
まわりの誰もが100歳までは楽にいくだろうと思っていたのだが、6月にベッドから落ちて骨折して入院したあたりから急速に衰えが目立っていった。それまでも骨折などで何度か入院していたが、とにかく注射がキライだし、点滴の針は抜くし、じっとしているのが嫌で暴れるしと、病院から早く出ていってほしいと言われるくらいの元気さだったのに。
6月の骨折は、とくに外科的な手術や治療はせず、日にち薬で治癒を目指すという方針になったとたん、病院からは老人ホームに戻ることを促された。リハビリをするでもなくただただ日を送るだけの患者を置いておく余裕は今の病院にはない。
決して望むところではなかったが、思いのほか早く自分の部屋に戻れたけれど、入院中から食が細くなってしまった状態はさらに進んでしまい、ほとんどベッドで寝たきりのまま、食事を食堂に摂りに行くこともしなくなってしまった。暑い時期だから、当然体力が失われていく一方で、次男の結婚式で奄美大島に出かけているときに万が一のことが・・・と真剣に心配しながらの4泊5日だった。
急を報せる電話もなく、無事すべての日程を終えた帰ってきた日の夜中、救急車で病院に運ばれたという電話がかかった。この時は運ばれた大学病院の救命救急センターで、点滴などの措置で、なんとか危篤状態を脱したのだが、担当医からは、食事で栄養を摂れない状態では、状況は変わらないので、胃に管を通して直接栄養を送り込むような外科的治療を行うかどうか、治療方針の決断を迫られることになる。「延命」を望むかどうかという厳しい二者択一ということだ。
説明を聞いた妻は即座に「胃に管を通すというような治療は結構です」と返答した。こういう時に備えて、神奈川に住む2人の姉とよくよく相談したうえで、それは決めていたようだ。当然、わたしが口を挟むことではない。
となると、救命救急病棟としては、ただ点滴をして横になっているだけの患者を長くは置いておけない。ホームの担当者と病院のコーディネーターが打ち合わせを重ねて、ホームに戻り、訪問看護で点滴を続けていくということになり、ここでも早く退院を余儀なくされた。点滴の量そのものは入院中と変わらないものの、24時間モニターで状況をチェックしてくれていた救命救急病棟と訪問看護では、やはり、延命治療という点では一歩後退と言わざるをえない。
訪問看護の点滴が1週間続いた頃、血液が漏れて点滴も難しい状況になってきたと主治医から連絡が入った。ここで点滴をやめるということはどういうことを意味するかは明白だ。でも、ここでも、3人の娘はそれを選択した。そして、それから10日。急遽神奈川から駆けつけた2人の姉と妻が一晩をともにしたあと、静かに旅立っていった。
娘たちに看取られ、痛みも苦しみもなく、おだやかに最後を迎えられたのだから幸せだったよね。というのは、送った側の思いだ。本当は、胃に管を入れてでももっと生きていたかったと本人は思っていたかもしれない。それはもう、聴いてみる手段もないのだが。
ただ、わたしたちにとっては、本当にありがたかった。7年前、骨折で入院した病院を「手に負えない」というような理由で出されそうになった時、今の有料老人ホームに入って以来この日まで、その費用はじぶんの年金と恩給でまかなうことができた。クルマで5分という距離とはいえ、最低でも週に一度は通っていた妻には、それなりに負担はかかっていたけれど、経済的な負担がなかったというのは、やはり大きい。そして、家庭的な雰囲気のホームでの生活にうまく馴染んで、大きな病気もせずにいてもらえたことも、これまた大きい。
ふと我が身を思うと、わたしたちの手にすることのできるであろう年金では、こんな老後はおくれない。個人的には延命のための治療は必要ないって言っておこうと思っているが、そもそも医者にかかることだってままならないかもしれない。こんなふうにおだやかに看取ってもらうということは望めないかもしれないんだよなぁ・・・。
きょうの午後、JRの電車が止まるくらいの激しい雨と雷がこの街を襲った。通夜式を終えて外に出てみると、雨上がりで少し涼しくなっていた。今夜はぐっすり眠れるかな・・・。そうそう、土曜日の通夜、日曜日の葬儀と勤め人を配慮してくれたのも、ありがたかったなぁ。