2012.11.02 畏敬の念
けさの名古屋は8.3℃まで気温が下がった。でも、青空が広がっていてとても気持ちのよい朝だった。きのうちょっと痛めた左脚は、湿布とストレッチの甲斐あって、部屋の中を歩いても、階段の登り降りをしても何ともないからもうだいじょうぶだろうと、清々しい朝の空気の中に気分よく走りだした。 が・・・。
1歩目からダメだった。あぁ、これって前にも経験済みだよなぁ、走って痛めた筋肉や筋は、走らないとその回復度合いがわからないものなんだよなぁ。ふつうはここですぐに走るのはやめて撤収するよなぁ・・・と思いつつ、せっかく着替えたんだしとか、この気持ち良い朝に走らないなんてとか、さっきより違和感が薄らいだしとか、まぁ、都合のいい理屈をこねて、ゆったりJOGペースで走り続けていった。
さすがにいつもどおりというわけにはいかず、緑地を1周だけして帰ってくる。戻ってきて走るのをやめれば、とりあえず違和感も痛みもなくなったのだが、炎症を悪化させたのは明らかで、ホントにバカだよなぁとわれながら呆れるしかない。きのうも自分に呆れていたくせに、ほんと走ることに関しては学習能力がないというかなんというか。
「えちごくびき野100kmマラソン」から4週間。大会事務局から、ゴール写真とともにアンケートが送られてきた。いとこからは、吉川区のエイドでインタビューを受けた地元のケーブルテレビの番組が送られてきた。あぁ、もうあの「夢のような1日」から4週間が経つんだねぇ。きのうきょうの上越は大荒れの天気らしい。雪に封じ込められるのももうすぐだ。やっぱり、あの秋の1日は「夢のよう」だ。
ということで、あしたはおとなしくしている(たぶん)ことにします。読みたい本もあるしね。そうそう、きのう夜中に読み終えた三浦しをんの「神去なあなあ日常」はよかった。表向きは「仏果を得ず」で文楽の世界を描いたみたいに、林業の世界に放り込まれた男の子の1年を描く「職業小説」なんだけど、わたしたちが、便利な生活を手に入れることと引き換えに、すっかり忘れ去った自然への畏敬の念の大切さをあらためて教えてくれたように思う。
東日本大震災で、自然に対してきちんと向き合うことの必要性を思い知らされたはずなのに、被災地以外では、もうすっかり忘れ去られているような気がする。もちろん萎縮しているばかりではダメで、元気なところのがんばりで日本全体の景気を持ち上げて、被災地の復興にもつなげていくという考え方も大事だと思うけれど、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ではいけないと思うのだ。
きのう東京の某所で点灯式が行なわれたクリスマスイルミネーションには25000個のスワロフスキーが使われているという。別のところではLED電球が数万個使われているとか・・・。これって、日本経済を下支えするってことに通じるんだろうか・・・。「神去なあなあ日常」を読んだあとのわたしには、俄には信じがたいところだなぁ。
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