2014.03.11 この日に思う
けさの最低気温は-1.6℃。きのうの夜の寒さからはもっと冷え込むかと思ったけれど、それほどでもなかった。やっぱり3月なんだね。走りだした7時過ぎもまだ氷点下だったけれど、日がずいぶん高く上るようになってきたので、それほど厳しい冷え込みには感じなかった。ここでも3月ということを感じる。そして、緑地の噴水池にも氷は張っていなかった。日中の水温が高くなっているんだろうね。きのうなかなか寝付けなかったので、眠気もあってちょっと気だるかったけれど、けさも10.8km走ってくる。
きょうで、東日本大震災から丸3年となる。あの日、わたしは福岡パルコ店に勤務していて、遅いお昼に入ったパルコの休憩室のテレビで、津波の映像を見ていた。福岡ではまったく揺れなかったし、地震があったことなどまったく知らないまま、いきなり強烈な映像を目の当たりにしたのだが、映画かCGを見ているようで、まったく現実感がなかったのが強く印象に残っている。休憩が終わり、急いでお店に戻って本社に電話をしてみたけれど、全くつながらなくて、被災された人や、帰宅難民になってしまって大変な思いをした多くの人たちとは較べようがないけれど、違った意味の孤立感を感じた記憶がある。
本当は3月はじめには本社に戻るはずだった。いろいろトラブルがあって福岡での仕事が延びたので、帰宅難民のひとりになることがなかった。こんな書きかたは申し訳ないけれど、幸運だったと思ってしまう。そして、6月にいよいよ本社へ戻れという内示が出た時に、もう東京には行きたくないからと、名古屋に戻ることを決めたのも、震災の影響を強く受けていたからで、簡単にいえば「逃げた」ということになる。だから、この東日本大震災については、今でも「何もしなかった」「何もできなかった」という無力感と、「逃げた」という後ろめたさを感じてしまう。
しばらくは、日本中が防災を意識していたようだけど、3年経って被災地以外では、喉元過ぎれば熱さを忘れるというような感じで、ちょっとその気持ちが薄れているように思う。きょうでこそ、テレビも新聞も現地からの中継を交えて、大々的に採り上げているが、名古屋では、ふだん目にすることが確実に少なくなっている。
アベノミクスの政策で日本中で公共事業への投資が多くなった結果、復興への歩みに遅れが出ているらしい。この先、東京オリンピック開催に向けて、東京への投資が加速していくと、東北の被災地の、とくに過疎地については、どんどん置き去りにされていってしまうような気もする。「東京オリンピックには東北の子どもたちをたくさん招待する」なんて安部首相が言っていたが、それよりも先にすることがあるだろうになぁ。
この間読んだ馳星周の「光あれ」は、原発に翻弄される敦賀が舞台だった。地方では、「市」ですら中心市街地の空洞化が進んで、大都市圏への集中、もっといえば、東京への一極集中が顕著だ。先日の東京出張でも、東京という街の勢いはやっぱり桁違いだと思わざるを得なかった。この先、「超」高齢化の限界集落はどうなっていくんだろうって心配になってくる。
きょうは、くしゃみ、鼻水に悩まされている。目も痒いから花粉症だとは思うが、まさか風邪のひきはじめってことではないよね・・・。
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