2021.03.11 あれから10年
10年前のあの日、わたしは福岡パルコ店に遅番シフトで勤務していた。遅いお昼に入ったパルコの休憩室のテレビで、津波の映像を見ていた。福岡ではピクリとも揺れなかったし、地震があったことなどまったく知らないまま、いきなり強烈な映像を目の当たりにしたのだが、映画かCGを見ているようで、まったく現実感がなかったのが強く印象に残っている。休憩が終わり、急いでお店に戻って東京の本社に電話をしてみたけれど、全くつながらなくて、被災された人や、帰宅難民になってしまって大変な思いをした多くの人たちとは較べようがないけれど、違った意味の孤立感を感じた記憶がある。
結局、21時の閉店まで本社とは連絡はつかなかったのだが、データセンターはふつうに稼働していたので、いつもどおりに閉店作業を行なえたし、何もふだんと変わりはなかった。22時に帰宅。タイマーで炊きたてのごはんを食べながらテレビを見ていたのだが、時とともにその甚大な被害の様子が明らかになっていって、ふつうにあたたかいお夕飯をいただいているのが、ひどく申し訳なかった。その頃になって、地震発生直後に、本社から配信された緊急同報メールが届いた。
翌日になってわかったことだけど、都内の店鋪は途中で営業が打ち切りになっていたし、本社スタッフも早々にオフィスから退去していた。そのうちのひとりは、歩いて5時間かけてうちに帰ったという。
翌12日は、福岡パルコ店の1周年記念セールの初日だった。「街が消えた」「壊滅的な被害」「孤立している」「原発で炉心溶融」などと、胸が張り裂けそうなニュースや映像が伝えられる中、「一周年感謝祭」でござい!って、果たしてどうよ・・・って思いもあって、ほんと申し訳ない気分でいっぱいまま営業に臨んだのだが、正直盛り上がりに欠けた結果だったのを覚えている。
そしてこの12日は、九州新幹線の全通の日。このタイミングで祝賀行事はいかがなものかと、すべての開業イベントが中止となり、始発列車は静かにスタートしていった。それに合わせて、テレビ全局が予定していた全通記念の特番も中止。新聞の中刷り特集は折り込まれていたけど、こちらも、興を削がれた感がありあり。感動的な「九州をひとつに」のCMでものすごく盛り上がっていたのに、これに全力を注いでお仕事をしてきた方は、ホントに気の毒だった。でもまぁ、お祝いだ!なんてとても言えなかったしね。
本当は3月はじめには本社に戻るはずだった。いろいろトラブルがあって福岡での仕事が延びたので、帰宅難民になることもなく、水道水の放射能汚染に怯えることもなく、計画停電で不便を強いられることもなかった。こんな書きかたは申し訳ないけれど、幸運だったと思う。ただ、日本という国から切り離されたというような疎外感とか孤立感はいつも感じていたなぁ。本社からは、福岡はふつうに営業できるんだから、都内店鋪の分も稼いでくれなんて言われたけど、その都内がどういう状況だったのかはよくわからなかったというのも孤立感に通じていたような気がする。
そして、6月にいよいよ本社へ戻れという内示が出た時、もう東京には行きたくないからと、名古屋に戻ることを決めたのも、震災の影響を強く受けていたからで、簡単にいえば「逃げた」ということになる。だから、この東日本大震災については、今でも「何もしなかった」「何もできなかった」という無力感と、「逃げた」という後ろめたさを感じている。
10年という区切りの年ということで、ことしはテレビでも新聞でも大きく報道されている。政府主催の追悼式典はことし限りということらしいが、震災からの復興はこれで終わりじゃない。とはいっても、わたしごときの力では何もできないに等しい。できることは「忘れないでいること」かな。そして、福島産のくだものや、宮城産のお米、岩手産の水産加工物をスーパーで見つけたら、それを優先して買うことくらいかな。あと、三陸鉄道に乗りに行きたいんだよなぁ。妻は鉄ちゃんじゃないので説得がむつかしいけど・・・(笑)
きょうは、朝イチで9週間ぶりの内科診察、そのあと、社会福祉協議会にボランティア行事保険の申込みに行き、となりの銀行ATMで保険料を振り込み、かえりに処方箋調剤薬局でクスリをもらってきて、午前中はおしまい。午後は、小学校から帰ってくる孫をマンションで迎えてあげる「おしごと」をして、あさってのマラソンフェスティバルのボラの件でメールのやり取りをしていたら走る時間がなくなっちゃった。まぁ、いいか。
そんなこんなで1日が終わる・・・と思っていたら、18時30分すぎに上の孫から「ママが気持ち悪くて大変なので来て!」と電話がかかってきた。あわてて、妻と2人で駆けつけると、なっちゃん(次男の嫁)が、「なんども戻しているけれど、なかなか気持ち悪さがとれない」と言って横になっていた。作りかけていた夕食の支度を妻が引き継ぎ、孫たちと夕食を共にし、お風呂に入れて帰ってきた。孫からのSOSの電話!というのにびっくりしたけど、おおごとにならなくてよかったな。
あしたは、民生委員さん主催の「ひとり暮らしのお年寄りのためのお散歩会」だ。なんとか午前中は雨が降らないことを祈ろう。
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